"若者がナショナリズムに惹きつけられる理由はわかりやすい。
それは帰属する集団がないからである。
人間は帰属する集団があり、そこで他者と共生し、協働し、必要とされ、ゆたかな敬意と愛情を享受していれば、パトリオットにはなっても、ナショナリストにはならない。
パトリオットは自分がその集団に帰属していることを喜び、その集団を律している規範、その集団を形成した人々を愛し、敬しており、その一員であることを誇り、感謝している。
ナショナリストはそうではない。
彼はどのような集団にもそのような仕方では帰属していない。
彼は自分がさしあたり所属している集団について(それが家族であっても学校であっても、会社であっても)「ここは私がいるべき場所ではない」というひそかな不安と不満を感じている。
それはその集団を律している規範も、その集団の存在理由もうまく理解できず、他の成員たちに対して、敬意や愛情を感じることができないからである。
本人も他の成員たちからの敬意や愛情を感じることができず、「私たちの集団が存立してゆくためには、どうしてもあなたがいることが必要だ」と懇請されることもなく、自分の能力がこの場でゆたかに開花していると実感することもない。
そういう人間でも、どこかに帰属していない限り、生きてゆくことは苦しい。
その場合、「ナショナリストになる」というのはひとつの選択肢である。
ナショナルな政治単位に帰属することについては要求される資格は何もない。
誰でも自己申告すれば、ナショナリストになれる。
そして、国民国家という巨大な集団に帰属する代償として、ナショナリストに求められるものは何もないのである。
ゼロ。
ナショナリストにはどのような義務もない。
好きなときに、好きな場所で、好きな人間を相手に、気が向いたら、ナショナリストになることができる。
私はナショナリストだ。私は日本人だ。私は日本の国益をあらゆるものに優先させる。日本の国益を脅かすもの、日本人の誇りを踏みにじるものを私は許さない。
などということをぺらぺら言い立てることができる。
その代償として要求されるものは、繰り返し言うが、ゼロである。
真正のナショナリストであることを証明するために「今、ここ」でできることは何もないからである。"
それは帰属する集団がないからである。
人間は帰属する集団があり、そこで他者と共生し、協働し、必要とされ、ゆたかな敬意と愛情を享受していれば、パトリオットにはなっても、ナショナリストにはならない。
パトリオットは自分がその集団に帰属していることを喜び、その集団を律している規範、その集団を形成した人々を愛し、敬しており、その一員であることを誇り、感謝している。
ナショナリストはそうではない。
彼はどのような集団にもそのような仕方では帰属していない。
彼は自分がさしあたり所属している集団について(それが家族であっても学校であっても、会社であっても)「ここは私がいるべき場所ではない」というひそかな不安と不満を感じている。
それはその集団を律している規範も、その集団の存在理由もうまく理解できず、他の成員たちに対して、敬意や愛情を感じることができないからである。
本人も他の成員たちからの敬意や愛情を感じることができず、「私たちの集団が存立してゆくためには、どうしてもあなたがいることが必要だ」と懇請されることもなく、自分の能力がこの場でゆたかに開花していると実感することもない。
そういう人間でも、どこかに帰属していない限り、生きてゆくことは苦しい。
その場合、「ナショナリストになる」というのはひとつの選択肢である。
ナショナルな政治単位に帰属することについては要求される資格は何もない。
誰でも自己申告すれば、ナショナリストになれる。
そして、国民国家という巨大な集団に帰属する代償として、ナショナリストに求められるものは何もないのである。
ゼロ。
ナショナリストにはどのような義務もない。
好きなときに、好きな場所で、好きな人間を相手に、気が向いたら、ナショナリストになることができる。
私はナショナリストだ。私は日本人だ。私は日本の国益をあらゆるものに優先させる。日本の国益を脅かすもの、日本人の誇りを踏みにじるものを私は許さない。
などということをぺらぺら言い立てることができる。
その代償として要求されるものは、繰り返し言うが、ゼロである。
真正のナショナリストであることを証明するために「今、ここ」でできることは何もないからである。"
No.372887